|
かのピーター・ドラッカー(1909-2005)が最初に提唱したことで知られるMBO(Management By Objectives)は、「目標管理制度」として日本でも大変馴染みがある人事制度の一つであり、一説によると日本企業の8割以上が導入しているとされている。「個人の業務目標を予め設定し、その達成度を評価する」というシンプルな考え方であるが、このMBOが良くも悪くも「成果主義」の代名詞になっており、その功罪が謳われることも近年少なくない。そこには一体どんな問題点が潜んでいるのだろうか。『個を活かし組織力を高める人材マネジメントの手法』を考える第4回目の今回は、仕事をする上で極めて重要な「目標」のあり方について論じてみたいと思う。
■「目標管理制度」の落とし穴 |
 |
「成果主義」の概念が日本で一気に浸透したのは、バブル崩壊直後の1990年代半ば以降である。それまでの職能資格制度を中心とした日本型マネジメントシステムが大きく見直されるきっかけとなり、「いくら(潜在)能力が高くても、その力が仕事に発揮されなければ意味がない。であれば、(能力によらず)仕事の成果・アウトプットを中心に評価するべきだ」とする考え方が広く共感を呼んだ。ここで注目されたのが、業務目標の達成度を評価する「目標管理制度」である。既に人事制度としては一般的であったが、「成果主義」の風潮が一種のブームとして各界で取り上げられるに従い、多くの企業がこぞって導入するようになったという背景がある。今や、どこの企業でも当たり前のように存在している「目標管理制度」であるが、ここでその主だった問題点を列挙してみよう。
- よい評価を得ようとするあまり、「目標」のハードルを低めに設定してしまう
- 「目標」として設定した仕事しかしなくなり、ルーチンワークが疎かになる
- 失敗を恐れ、チャレンジングな仕事に取り組もうとしなくなる
- 自らの責任範囲(守備範囲)を限定してしまい、他人の仕事に協力的でなくなる
- 中長期的に結果が表れる仕事よりも、短期的に成果の出る仕事を優先してしまう
- 実際の貢献度の高さでなく、あくまでも基準(目標)に対する達成度のみで評価する
- 状況や環境の変化によって、「目標」の内容や難易度が変わることに対応しづらい
- 「目標」として設定した業務以外の仕事の成果や貢献度を評価しづらい
- 目標のレベルの高さを調整できないため、個人の達成度(評価)に格差が生じる
- 数値化した目標の達成度を、最終的に組織内で序列化すると、実感値にそぐわない
どんな制度でも、完璧なものなど存在するはずはないのだが、上記のような問題が蔓延しているとなれば、これは人事制度としては致命的である。なぜなら人事制度とは、「社員の能力を最大限に発揮させ、その成果・業績を向上させる」ために機能しなくてはならないものだからである。上記の問題点の数々は、その主旨とは逆行してしまっていると言っても過言ではないだろう。「成果主義」を導入しても、業績が伸びないわけである。
ドラッカーが、『現代の経営』(1954)において最初にこの手法を紹介した時の英文をそのまま引用すると、"Management by Objectives and Self Control"となっており、「目標を通じて自己管理しながらマネジメントを行う」というニュアンスのものだったことがわかる。要するに、「自ら目標を課し、その達成を目指して自ら努力しつつ仕事に励む」ということだろう。この考え方をそのまま踏襲すれば、何も問題はなさそうである。実際に欧米諸国で使用されているMBOシートは、いたってシンプルな形式のものが多い。だが、「目標管理制度」と和訳され、日本人特有の「細部に至るまで厳密に仕組みを設計する」手法にかかった途端、思わぬところで誤算が発生してしまったというのが現状である。
■組織力向上につながる評価の仕組み |
 |
日本でカスタマイズされた「目標管理制度」は、本質的にどこに問題があったのだろうか。一言で言えば、「厳密にルール化することによる柔軟性の欠如」である。仕事の「成果」とは、何も「目標達成度」だけではないはずである。それを「成果主義」ならぬ「結果主義」の考えの下、「最初に掲げた目標が、最終的にどの程度達成されたか」のみに着目し、これを厳密に測定することにフォーカスしてしまったことに問題がある。社員一人ひとりが一年間頑張って仕事をしてきた中で、当初の目標業務とは別に大きな成果が生まれることも少なくないだろう。また、目標自体は達成できずとも、その過程(プロセス)において、将来の会社成長につながるような新たな付加価値が生じることも多いはずである。この両者のケースにおいて、社員の意識が「目標の達成」を志向するか、「新たな成果・付加価値」を志向するか、運命の分かれ道である。当然ながら、事業計画から展開された目標の追求は重要なミッションではあるが、将来の企業発展につながるかもしれないチャンスを逃すようなことがあってはならない。この部分を評価制度の中でちゃんと補完しておければ、将来の業績向上のみならず、個人のモチベーション向上や能力向上、そして組織力の向上にもつながってゆくはずである。(⇒図@参照)

■役割や目標を厳密に規定することの是非 |
 |
前述した評価制度の問題点は、「何を成果として定義し、その成果をどのように測定するか」が不十分であることに起因する問題であった。では、「目標」そのものはどのように設定されるべきであろうか。その前に、組織において職務を遂行する上では、「役割」や「職責」というものが存在している。形式上は、「職務要件書」や「等級定義」の中に記述されているものである。これらが明確に定義された上で成り立つのが「業務目標」だと言える。この「役割」というものが存在せず「目標」だけが与えられると、「そもそも会社から何を期待されているのか」が曖昧となり、意図する成果や業績が思うように望めなくなってしまう。しかし多くの企業では、この「役割」や「目標」を、一定の書式内に文章で厳密に記述する
(規定する)ことに注力することはあっても、それらが「どういった会社のミッション・ビジョンから展開されたものであるか」「どういった事業計画に基づいて割り当てられたものであるか」を、組織内で十分に共有した上で各人の役割や目標に割り振っているケースは少ない。組織内で共有化(⇒組織目標の明確化)をせずに個人の目標に展開してしまうと、個人の意識としては「自分の役割・目標は○○○だから、これだけやっていればいいだろう」という発想になるのは当然である。文章で厳密に規定された書式のみに基づいてしまうと、本人の意識や行動が無意識のうちに制約を受け、結果として本来望まれる成果行動がとられなくなってしまうのである。(⇒図A参照)

■目標設定はどうあるべきか |
 |
突き詰めて考えれば、今の時代、あまりにも「成果主義人事」が当たり前になったことで、働く社員一人ひとりが自分の評価結果を気にし過ぎてしまっていることが根底にあるように思われる。職能資格制度が中心の時代においては、「能力の高さ」がベースにあったため、仮にもともとの能力が低くても「年功」や「キャリア」でカバーすることが可能であった。ところが「成果の高さ」がベースになると、社員が優秀であるかどうかによらず、絶えずアウトプットの中身を問われることになる。このアウトプットのレベルを判定する基準となっているのが「目標」である(←前述の通り)。
目標設定をどのように行うと、社員はよりやる気を出し、本来期待される成果行動をとるのであろうか。キーワードは「目標の共有化」である。目標を「個人のノルマ」としてしまうのではなく、「組織全体で追うべきゴール」として、いかに理解・納得・浸透させるか。これにかかっていると考える。もちろん、個人の役割・ミッションや個人ごとに割り当てられたタスク、及びその目標値というものは存在するであろう。だが重要なのは、個人の集合体である組織・チームとして、どんなビジョン・ゴールに向かって力を合わせ、協力し合い、チャレンジし続けるか、その意識とムードを醸成することにある。テクニック的には、事業計画が期初において決定された後、各組織で追うべきビジョンや目標の共有化を、ワークショップ形式でメンバー全員参加のもと行うのが望ましい。同じやり方で組織階層ごとに時間をかけて行うことで、個別目標の最適化が促されると思われる。潜在的に埋もれている社員の能力とセンスを引き出し、「目標によるプレッシャー」ではなく「ゴールに向けてのモチベーション」として意識を転換させることが鍵である。
次回のコラムでは、今回のテーマに関連し、ビジョンや目標を達成していく過程で極めて重要となるマネージャーの役割について論じたいと思う。 |